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2008年4月23日以降ユニオン千葉ブログ(リンク参照)の中で「武将評伝」を抜粋して掲載します。


【労働相談ユニオン千葉の武将評伝 】
人格抜群、なれど不人気なのは何故か? 足利尊氏
2008-11-13 18:24:38 | Weblog

史上天下を獲ったと言われる人物は平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の6名ですね。
現代に於いてはこの中で「不人気の筆頭」は足利尊氏です。
足利尊氏を不人気にしたのは天下の副将軍「水戸黄門」と言われています。
徳川光圀(黄門)の編纂(へんさん)した「大日本史」が南朝を正統とした事が発端です。
北朝のスポンサー足利尊氏が逆臣とされたのです。
徳川家は新田義貞の流れを汲むと称し、宿敵足利尊氏を低評価した一面もあります。
それまでは政権を握っていた北朝が正統とされていました。
4代で終了した南朝が正統であると言うのには異論もあります。
ただこれは歴史学者の範疇(はんちゅう)ですのでここでは触れません。
足利尊氏は6人の天下人の中では「人格」と言う点で傑出しています。
物欲は無く、女性関係も清潔で天下人としては子供の数も少なく5人だけです。
後醍醐天皇は19人の后妃に34人の子供を生ませています。
女性にあまり興味なさそうな織田信長でさえ子供の数は20人を超えています。
(信長は美少年好みでもあり森蘭丸などその代表ですね。)
尊氏は酒を飲んでも乱れる事は無かったと言われています。
生まれついて源氏の棟梁の立場にあり天下獲りを宿命として持っていたのです。
祖父の家時が3代のうちに天下を獲れと遺言を残して割腹自殺を遂げました。
平清盛、源頼朝、北條義時(平氏)迄、平氏、源氏、平氏と続きました。
次は源氏の番と言う考えが源氏の足利家には代々伝わっていたのです。
生まれた時から帝王学を学び、文武両道を極め人望は弱年の頃より厚かったといいます。
北條高時、後醍醐天皇、新田義貞など敵として戦った人の為に寺院を建立しています。
織田信長のように浅井長政、久政、朝倉義景のドクロに金粉をぬり杯代りにしたような悪趣味は持っていません。
乱世の政治家としては教養があり過ぎ、優しすぎ、そして優柔不断でした。
南北朝の騒乱を孫の義満の代迄引きずってしまった事はいただけません。
ただ追い詰められると必ず勝利するといった武人としての才能があります。
複雑な一生を送った人物ですのでなかなか理解するまでは時間がかかります。
南北朝の歴史が、わかりやすく世に広まると大衆的人気を博するかもしれません。
史上最大の天才 織田信長
2008-12-20 17:32:36 | Weblog
歴史上の英雄で誰が一番優秀な頭脳の持ち主だったか?
歴史マニアであれば大半は織田信長と答えると思います。
信長以外の天下人は参謀や軍師にあたる人物がいました。
信長はほとんど一人で独創的、天才的行動を実践しました。
鉄砲の積極的利用と武田勝頼との長篠の闘いの鉄砲3段打ち。
毛利、本願寺との闘いでの甲鉄船の考案。
天下布武の為の居城移転。
関所の廃止、通行税、貨物通過税の廃止。
世界の新知識を吸収し地球儀を愛好していた信長。
数えあげるときりがないほどの独創性。
頭もよければ、行動力も抜群。
長身にして鍛え上げた体躯、そして戦国武将きっての美男。
織田信長には劣等感など一かけらも無かったでしょう。
自分は全ての人間で最高である。
信長は晩年、自分を神として敬えと言っています。
安土城の一画に自分を祭る寺を(そう見寺)建立しています。
神になる事、これは天皇の政治的権威を奪取する事に通じます。
天皇の上に立つ、壮大にして恐るべき構想は史上信長だけです。
この信長の行動は後世さほど非難されていません。
それに比べ足利尊氏が逆臣として非難されるのは片手落ちかもしれません。
信長のスケールに比べれば足利尊氏も影が薄いように感じます。
本能寺の変がなければ世界史に名を留めていたかもしれません。
比叡山焼き討ちのような殺戮(さつりく)を異国の地で行った可能性もあります。
恐るべき大天才信長には人間の弱さが判っていたでしょうか。
信長の最大の欠点は「天才過ぎた」ことかもしれません。
そしてそれが信長の命を縮めたとも考えられます。

家臣からの反逆も信長の特徴です。
松永久秀、荒木村重、そして明智光秀です。
なぜ明智光秀が反逆したか?
これはいろいろな説がありますが未だ謎です。
@光秀は信長に恨みを持っていた、怨恨説。
A光秀は天下が欲しかった、野望説。
B足利義昭黒幕説。
その他

ユニオン千葉専従、歴史マニアの新説も聞いて下さい。
★明智光秀は「過重労働」で「初老期ソウウツ病」の状態にあった。
信長に使い捨てにされる恐怖に耐えきれなかった。
長いウツ状態が続いた。(これは歴史的状況証拠あり)
そしてソウ状態の時、反逆後の成算も確認しないまま反逆した。
C明智光秀「初老期ソウウツ病説」です。
根拠として
@怨恨説は冷静でインテリの光秀が恨みだけで反逆したとは考えられない。
A天下人説は反逆の後の行動が周到な準備が持ち味の光秀らしくなくズサンである。
B既に何の力も無い旧主、足利義昭に秀才で現実主義者の光秀が扇動されたとは思えない。
以上により
メンタルヘルスを病んで疲れきって、慎重な光秀としては衝動的に反逆したと推定します。
但し決行までは思慮を重ね手抜かりはありません。
その後の見通しが甘かった点は歴史学者が言っている通りです。
織田家重臣達は人使いの荒い織田信長に仕えて50歳を過ぎると燃え尽き症候群に近かったですね。
柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛もそうです。
光秀も50代半ば当時としては老齢でした。
一人秀吉だけが40代の働き盛りだったのです。
秀吉も「過重労働」であった事は晩年ボケ状態が発生した事で推定されます。
天下一の恐妻家 源頼朝
2009-02-12 16:00:38 | Weblog
天下を獲った英雄の中で個人的に親近感を感じる人物。
それは源頼朝公です。
伝説によると高宕山(高宕観音)を参拝した唯一の天下人です。
6人の天下を獲った英雄の中では異質ですね。
清盛、尊氏、信長、秀吉、家康はれっきとした武将です。
頼朝公だけは政治家と言えます。
14歳〜34歳まで流人として伊豆の蛭が小島で生活。
平家の監視の下で武将としての鍛錬は出来なかったのです。
ただ読経に明け暮れる生活。
その中で伊東祐親の娘八重姫と恋仲になり男子誕生。
伊東館に移り住んだ頼朝公に悲劇が襲います。
伊東祐親は頼朝公が伊東館に移り住んだ時京都に在勤していました。
その祐親が帰って来ました。
平家を恐れた祐親は頼朝公殺害を謀りました。
危うく脱出した頼朝公は北条時政館に逃げ込んだのです。
頼朝公の子千鶴丸は狩野川で殺害、八重姫は他家に嫁がせてしまったのです。
これから先歴史に名高い北条政子が登場します。
ここで狩野川で死んだ千鶴丸はその後各地で伝説を生みます。
藤原氏滅亡の後奥州に入った御家人和賀氏伝説の先祖として有名です。
千鶴丸様は死んでいなかったのだ。
狩野川で我が家の先祖に密かに助けられ娘婿になり我が家を継いだのだ。
つまり我が家の先祖は頼朝公嫡男の千鶴丸様である。
頼朝公ご落胤伝説は比企能員の妹を母とした島津家が有名ですが他にも多くあるのです。
頼朝公はかなりの色好みだった事は事実のようです。
しかし北条政子の嫉妬深さに攻められそれほど自由ではありませんでした。
他の天下人は人格抜群、武将として最低限の側室しか持たなかった足利尊氏を除いて皆艶福家です。
清盛、信長、秀吉、家康、4人とも側室の数は多かったですね。
女好きと後世に名を残す頼朝公が正式には側室を持てませんでした。
頼朝公が浮気をしては北条政子が嫉妬したなどと言われています。
天下人で浮気したとか言われているのは頼朝公だけです。
有力武将は側室を2人や3人もつのは常識の時代でした。
頼朝公の父、義朝も義経の母、常磐御前はじめ多数側室がいます。
北条政子の異常な嫉妬深さと頼朝公の女好き。
これが重なって頼朝公ご落胤伝説が多数発生したのです。
何故地方豪族が先祖を頼朝公ご落胤だと子孫に伝えたのか?
それは源氏の御曹司であれば天下獲りの資格があったからです。
清和源氏(清和天皇を先祖とする)が武門の星でした。
武家政治の創始者源頼朝公が我が先祖、武士にとってこれは最大の勲章です。
史上確認された頼朝公の子供は6人と言われています。
千鶴丸、政子との4人の子供達、頼家、実朝、大姫、三幡姫そして貞暁です。
貞暁は頼朝公ご落胤と史上認知された唯一の人物です。
貞暁の母大進局は伊達政宗の先祖伊達朝宗の娘です。
頼朝公も貞暁親子を気に入っていたようですがただ政子が執拗に攻め立てました。
ついに貞暁は出家して高野山に入りました。
天下人でありながら頼朝公もある意味気の毒です。
実家の後ろ盾+頭脳明晰、行動力抜群、気の強い妻を持った男の悲劇ですかね?
ただ天下一の恐妻家は多くの地方豪族に天下獲りの夢を与えたようです。
日の本に 悪逆非道の 名を残す 備前の梟雄(きょうゆう) 宇喜多直家
2011-07-14 09:07:11 | Weblog
3梟雄とかって言われていた北条早雲、斉藤道三、松永弾正。
この3人には新しい事実が証明されるまで共通点がありました。
1)出自、若年時の経歴が不明、謎の人物である。
2)裸一貫、才と度胸を武器に一代でのし上がった。
3)当時では高齢とも言える60才過ぎまで生きた。
4)梟雄としては憎めないキャラクターの持ち主だった。
近年の研究により北条早雲は出自、経歴がはっきりしました。
従来の定説、素浪人から中年過ぎてのし上り80過ぎまで生きた事が否定。
足利幕府の高級官僚出身で没年64才。
斉藤道三も親子2代の美濃の国獲りであった事の資料が発見されました。
油売りだったのは父親で道三は土岐家の有力家臣からの出発です。
これで二人は残念ながら?戦国の梟雄から脱落です。
松永弾正も不明な点があり今後の研究により梟雄脱落の可能性があります。
では上記3人の他に戦国の梟雄を選ぶならだれでしょうか?

悪逆非道、備前の梟雄、宇喜多直家が圧倒的、当選確実。
宇喜多直家は上記3人に上げた共通点は一つもありません。
武将の子孫で幼年の頃からの事跡がはっきりしています。
憎めないキャラクターどころか、ヘドがでるほど悪逆非道なのです。
得意とするのは暗殺、それも毒殺、鉄砲による狙撃、だまし討ち、裏切り。
妻の父、娘婿、主君、相手が誰であれ自分の利益なら手当たり次第です。
夫を殺害された娘は父をうらんで自害したくらいです。
直家の弟は兄の前では暗殺を警戒、鎖カタビラを着込んでいたのです。
こんな人物ですから3梟雄の中に入ってもおかしくはありませんでした。
ただ梟雄の名にも値しないこんな外道は選者も見放したのかもしれません。
直家の存在で岡山県人の人間性が低評価と記述した文書があります。
後世、郷土の民衆にまで迷惑をかけているのは許せない事です。